届きそうな距離は
求めてしまうのは、きっと人間だからだ。
いっそ何も求めないで生きていきたいくらい。
それくらいの心意気だったら、たぶん私は「善人」になるのだろう。
都合のいいことを想い浮かべては、こんなことあるはずないと消し去りたくなる。
でも、消しても消しても消した跡が残って、もっと自分が醜く見えてくる。
求めるものによって、そのあとは異なる。
その場で、くまのぬいぐるみが欲しくなった「欲求」は、すぐに消えてしまう。
買いたくなっても、ここで我慢すればと思ってやめたら、2,3日でそれはなくなる。
三年かけて、片思いの人と付き合いたいという「欲求」は、なかなかなくならない。
どうしても付きあった後のことを想像してしまって、でもそんな想像、現実に起こるはずないと首を振って、だけどここであきらめてしまっていいのか……、そんな感情が無限ループするのだ。
一人でいる時に、優しい言葉をかけてほしいという「欲求」は、特に嫌いだ。
そんな甘い自分に腹が立つし、非現実的な考えをする私が、もっともっと嫌になる。
一人でいる自分がさみしいって、認めるのも怖くて、結局後悔する。
なぜ求めてしまうのだろう。
手を伸ばせば届かないくらいだったら、きっと最初からあきらめている。
だけど、少し手を伸ばせば、あと数センチ、数ミリ…、そう思うと、思いが募っていくのだ。
そうか、私は「届きそうだ」と思っているのか。今はじめて気づいた。
あの時、もし買っていたら。
あの時、もし告白していたら。
あの時、もし声をかけられていたら。
もちろんそれは、もうないことだ。
だけど、後悔は雨となり、やわらかい私の心に打ち付ける。
そしてだんだん固まっていき、苦しくなる。
窓辺の外の降りゆく雨は私を責める。
「善人」になりきれない私を、いつも、いつだって。